大津地方裁判所 昭和40年(う)337号 判決 1966年1月21日
被告人 大角実
主文
被告人は無罪
理由
被告人が別表記載のとおり昭和四〇年八月五日、七日の二回にわたり相手方に代金の支払は確実に受けられるものと誤信させて無銭飲食をなし、同年九月四日より一〇日までの間四回にわたり他人の中古自転車を窃取したことは左記証拠により明らかであるが、被告人は当時梅毒の進行麻痺なる病気にかゝつており心神喪失の状態にあつたものである。
(詐欺、窃盗の事実の証拠)
一 東美恵子、岡田清の各司法巡査に対する供述調書(別表第一事実)
二 西田英一、西村康司、木原登美子、村井二三子の各被害届(別表第二事実)
三 被告人の司法警察員(五通)ならびに検察官(一通)に対する各供述調書
(被告人が犯行当時心神喪失の状態にあつたと認めた理由)
鑑定人魚谷隆作成の鑑定書ならびに同鑑定人の当公廷における供述によれば、被告人は現在血液、脳脊髄液の梅毒反応はともに強陽性で、瞳孔は対光反応を欠き、四肢に失調があり、構音障害書字障害等の異常所見があり、梅毒による進行麻痺の病気にかゝつていること、その発病は昭和三五、六年以前と推定されること進行麻痺は脳が器質的に浸されて行くもので、被告人の知能年令は七、八才程度で、知能をはじめ、全精神機能の低下を示し、人格水準も低下していること、本件犯行当時も現在と同様な状態にあつたものと認められること、以上の事実が認められる。刑法三九条にいわゆる心神喪失とは、是非善悪の弁別能力の全然欠除している場合は勿論のこと、ゼロに近い程度に著しく欠けている場合をも含むものと解するのが相当であり(小野清一郎外三名著・ポケツト註釈全書、刑法一二一頁参照)、本件被告人の犯行当時の精神状態は前記認定の事実よりすれば心神喪失の状態にあつたものと認めるを相当とする(なお司法研究報告書八輯七号、植村秀三著、刑事責任能力と精神鑑定、中四九、五〇頁、三九二頁ないし三九六頁、五八七頁ないし五八九頁参照)。
もつとも検察官の主張するとおり被告人の司法警察員に対する供述調書中には自転車を盗むときは人通りのないことを確めて盗んだ旨、見付かつた時しまつたと思い一生懸命逃げた旨の供述記載があり、右の点よりすれば被告人には自分のしていることが悪いことであるということが分つてたことを思わせる様でもあるけれども、右調書は問答式の調書でないのでどの様な質問が発せられて、それに対してどの様な答がなされたのを右の様な形式の調書にまとめられたのか明らかでないし、右鑑定書によると被告人の精神状態は注意力散漫で了解が悪く、問に対して早のみこみし、熟考する力はなく、反響的に答え、尋ねないことを答えたり、思考の進行も飛躍したり、渋滞したりし、判断力も極めて悪いことが認められ、家出してお宮の様な処で野宿の生活をしていた本件犯行当時の被告人の行動を全体として考察し、被告人の当公廷における供述態度とも合せ考えると被告人の前記供述記載部分は未だ前記認定を覆えすに足る資料とはなし難い。
よつて被告人に対しては刑法三九条一項、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすることゝする。
(裁判官 中村三郎)
別表第一、第二<省略>